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la souvenir

Posted on 2022.08.01

夏の白昼夢

ずいぶん昔のこと。
ちょうど沖縄が日本に復帰して社会が急激に変化していった頃。
街には形にならないどよめきがあり、不安や夢、エネルギーが蠢いていた。
ただでさえガラスのように危うい思春期の感情に揺れているのに
ビートルズやローリングストーンズのカッコよさに胸を撃ち抜かれ
反戦や人種差別にシャウトするフォークソングに心が張り裂けそうになり
留守の多い両親に代わって幼い弟たちの世話をする祖母のきつい躾が
道を外すことなく学校に通わせた手綱のような存在だった。
こまっしゃくれた娘の様子を知ってか知らずか
母はそのうち出先に私を連れていくようになった。
タッパーウエアパーティー(今でもあるのでしょうか?)とか、
模合の集まりとか
そこで知り合った人たちが営む美容室や仕立屋さん、レストランやお店へ。
最初はイヤイヤ、そのうちお気に入り出現。
園田のバス停近くにあった細長い6階建(と覚えている)の東西百貨店。
ドラゴンの彫り物がビルの面にあって
貝殻と一緒に飾られた真珠、
赤や緑(ルビーやエメラルド)の大きな石がついた宝石、
フィリピン製のカゴバッグ、木彫品、
派手なナイトウエアにロングドレス、アロハシャツ。
チャイナドレスに大きなセンスとか、
きっと米兵向けのお土産品店。
オーナーのママさんは太いアイラインで強烈な目力、
濁声で割腹がよくて外人みたいで母を妹分のように可愛がった。
お店の中はギンギンに冷やされ、エレベーターがあり、
楽しくて魅惑的でまるで楽園の玉手箱。
あまりに好きすぎて、1階にオープンしたA&Wでアルバイトまで始めた。
高校時代、ゆらぐ自分の癒しがそこにあった。

北中城の丘の上。オキナワヒルトンホテル。
フィリピンバンドの演奏、シャンデリア煌めくバーラウンジ。
父はラグジュアリーな世界を自慢するかのように
成人したわたしをバーに連れだった。
英語飛び交う大人の場所。成功した紳士淑女が集う場所。
父はグラス片手、集まる人たちの中で身振り手振り会話を楽しんでいる。
端っこで怯むわたしを手招きで呼んだ。
太く四角い黒縁メガネをかけた男性、
その横にそっと寄り添う小柄で美しい女性。
ただものならぬオーラを放つお二人の前で、わたしはますます萎縮する。
東京でファッションの勉強をしているんですよ、と
背中を叩きながらわたしを紹介する父。
お二人はね、ヤンさんとミミさん。
素晴らしい人たちだから覚えておきなさい。
握手をして、頭を深く下げて、懸命にスマイルして立ち去った。
二十歳の夏の思い出。
 
ヤンさんとミミさん。
1986年にカナダに移住を決め、プラザハウスの経営を父に託し
沖縄を去っていったお二人。
あの夏の日の出会いは必然だったのか
あれからわたしは沖縄に帰省するたびにプラザハウスを訪ねた。
昼間はムーンビーチで泳ぎ、夕日を眺め、急いでコザに戻り
ロージャースでセールになったジャンセンの水着と
フィールドクレストのシーツ、タオルを買った。
香水や洋菓子、沖縄の雑貨を販売していたプラザハウスに
お土産を探しにいくと
なぜここにこんなものが?と目を見張った。
不思議な形の、不気味な顔立ちの、
重厚で骨董のような木彫りのお面がずらり。
それぞれに力があり祈りがある。
思わず売り場の方に聞いた。なぜここにこんなものが?
オーナー夫婦が年に一度長い休暇をとり世界を旅しながら
いろんなものを仕入れてきます。
一度っきりのものも多いですけどね。少し困った顔でその人が話してくれた。
生まれて初めて見たアフリカ・コートジボワールのお面。
ヤンさんとミミさん。わたしの旅欲を刺激したのは彼らだったのか。
無性に会いたい、話したい。
彼らが知らない新しい店先に腰掛け、彼らが綴った
かつての時間を未来への記憶を。
2022年夏の白昼夢。