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la souvenir

Posted on 2025.07.01

また一から始めよう

赤道直下のバリ島に降り立つ。
もう40年以上、数えることを忘れるほど繰り返し訪れる島。
東京で師事したジュエリーデザイナーに連れ出されて行った初めての外国。
当時からすでに著名なアーティスト、ファッションクリエイターの興味の的であり
彼らがなぜ赤道直下の小さな島に取り憑かれるのか不思議であった。
海岸線には世界レベルのサーファー。
伝統芸術は、絵画から踊り、音楽まで、極めて独創的でセンセーショナル。
村々は、お祭りのようにお供物と花で彩られ、
万物に宿る神の声、自然の声を聴き、
祈りを忘れず生活する島の人々はとても器用で、
銀細工、石彫、木彫、織り、染めなど
あらゆるものが島の素材と共に創り出される。
インドネシアは約340年間オランダの植民地であった。
是非は別として、西洋と東洋の狭間、異なる宗教が共存する稀有な環境、
歴史が人々の魂と連鎖して、独特な文化を育んでいるのだろう。

バリ島との出会いは多くのアーティストとの出会いに繋がった。
ドイツとインドネシアのハーフで今はアメリカに暮らす服飾デザイナーのマリサは恩人。
オーストラリアから移住し、バティックをモダンな柄に仕立てたシャビー。
村の女性と共にマクラメ手法で美しいジュエルを編み出したイーシャーはアメリカ人。
美しい半貴石をひとつひとつ並べ、ハーモニーをデザインし
全てを小さなアトリエでジュエリーに仕上げるマリアは遠い国モンテネグロから。
さらに、現在のロージャースアレーナのショップリニューアルに関わった
フランス人のブルーノ、家具デザイナーはブラジルからきたレナルド。
フロアに敷かれた石材、中央通路の木材、ジャングルルーツの大きな扉、ファニチャー。
素材を探し見つけ、作る過程を教えられ、バリの人たちと一緒にユニークを追求した。
沖縄と同じような空気を持つ南の島で培った彼らとの経験は
その後、直接ヨーロッパへバイイングに出かけるための訓練だったように思える。

世界的な見本市で商品セレクトや商談をするとき
バリで学んだ経験がどんなに役立っているのか実感する。
何やかんやとバリにお世話になり、そのうちかけがえのないパートナーができた。
彼らのおかげで、プラザハウスを彩る植栽鉢やファニチャーが届けられ
沖縄のスタッフがデザインしたモチーフが、バティックのフラッグとなり、
季節ごとに館内を彩る。
 
愛してやまない、感謝が尽きない島。
わたしたちの沖縄と同じようにいろんな歴史を持つ。
リゾートエリアの開発は沖縄の比ならず凄まじい。
巨大なビーチクラブに世界から集まる観光客が溢れ、
働くスタッフは1000人を超える。
大きな投資と街の整備はいまだにバランスが図れず
ひどい交通渋滞に「最後の楽園」と言われたイメージは霞む。
道路脇に捨てられたゴミの量、放置された畑、
壁に残されたストレスフルな落書き。
光と影のギャップはますます広がり、
40年前の静寂は夢の彼方。
混沌とした現状を打破する知恵を、
島の人たちも強く願っている。
変わりゆくバリと沖縄の姿をどうしても重ねてしまう。

プルワ(ロージャースフードマーケットにあるBALI NOON BALI MOON のシェフ)の娘の結婚式に参列した。
全ての親族がバリの衣装を纏い、祈りと歌で二人を祝福する。
子供達の笑顔はいつの時代も変わらず明るい。
もしあと10年若ければ。
年寄りの常用語をついに口走る。
やりたいことがまだまだたくさん。
また一から始めよう。