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la souvenir

Posted on 2024.06.25

創る人

創る人
創業から70年を迎えるプラザハウス四代目社長、平良幸雄。
昭和6年生まれ、93歳。
アクアスキュータムのジャケットにシャツ、
ネクタイはシャネル、エルメス、ランバン、靴はもちろんバリー。
月に一度、50年通い続ける理容室でキチッと整髪し、爪を磨く。
フレグランスはシャネルからゲランに変わり、現在はアクア・ディ・パルマを愛用。
身支度は一人でこなす。出かける直前に腕時計を確認し、左手にスマートフォン。
かつてより、ふたまわりほど華奢になった。
それでも颯爽と車輌から降り、コツコツと小さな足音を刻み、
毎日欠かさず出社する姿は、小さな巨人さながらである。

江東区南砂町。兄弟5人とも東京で誕生。
幸雄は三男、幼少期は弱体だったという。
心配した兄二人は、歩くこともおぼつかない幸雄に、
お前はそれでいいのか、と厳しくも愛情深く叱咤したという。
戦後、故郷に住む祖父や親族の消息を案じ、一家全員で羽地村に引き揚げ、
長男は建築免許を取得し、次男は語学力を高め、米軍基地造作工事等に関わり
幸雄も夜学に通いながら、アメリカ人が上司の住宅工事を請け負う部署で働き始める。
懸命に仕事する彼を認め、どんどんとチャンスを与えた上司がいたそうだ。
私の人生は彼のおかげ。
お前ならできる、そう言い続けてくれた彼の信頼に応えることに必死だった。
だから私は頑張れた。不屈の精神を学んだ。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり・・・
オフィスの入り口に掲示された上杉鷹山の名言を、幸雄が歌うように読唱する時、
大概目の前にいるのは、しかめ面でぐうたらな私である。

創る人。
繊細な感性を持つ。

床、壁、天井。光の色、強さ。素材の組み合わせ。水平、垂直。
建物を取り巻くバランスを瞬時に読み込み
不調和を指摘するパースペクティブな眼力は群を抜く。
姿勢、歩き方、声、服装。
どちらも良き姿を見つけた時は、
あの人見てごらんなさい、素晴らしい、立派だ、すごい、とよく褒める。
昭和初期の男性には珍しく女らしいのは当然好むが、女のくせにとは言わない。
この頃は聞かなくなったが、彼は自身のことを酷い神経質だと嘆いた。
本当にこれでいいのか、自問自答を繰り返す。眠れぬ夜が続く。
問題を予測する防御能力は尋常ではない。
一方で時代を先見し挑む情熱が魂を揺さぶる。
だからよく檄を飛ばしていた。
それを知るか知らないかの仲間や部下、家族を、強く激しく導いたのだろう。
 
プラザハウス。
かつてアワセメドウショッピングセンター、外国人商社街とも呼ばれていた。
ここが一番豊かだった。
多くの外国人からビジネスを学び、世界の広さを知った。
沖縄の未来を思い描く特別なエリアだった。
平良幸雄の言葉を裏付けるように、
かつてを知る人を探し思い出を手繰る。
二代目社長ジミー・チュウ氏がカナダから来沖するという朗報が入った。
プラザハウスショッピングセンターの原型を創った
デンマーク人建築家ヨルン・シャーベック氏の家族と巡り会う奇跡が起きた。
そしてプラザハウスが現存することに感動した奥様とご家族がお見えになる。
悲しい歴史を背負う沖縄に集まってきたグローバルな叡智の破片が
70年を経て再編集されている感覚に震えが止まらない。
奇しくも来年は戦後80年、
昭和100年。